三好と佐久間は駅のプラットホームでベルリン行きの列車を待っていた。
約一年間に亘るドイツ国内での協力者らとの接触
情報を集めて分析し、本国へと報告する任務は
現地に直接出向いて来た結城にリストを渡す事によって完結した。
本来は三好一人で行われる諜報活動の予定だったのだが
陸軍参謀本部より、「機関員の有用性、実際の任務態度、実態を調査し報告せよ」と
相も変わらず的を外したお達しによって、佐久間が同行する事となり
二人で任務にあたったのである。
佐久間は美術商、三好は通訳兼バイヤーに扮し、旅行と商談を偽装して
ドイツに張り巡らせたスパイ網を辿り密かに情報収集してまわる
言葉で云えば簡単だが、実際のところ
日本で機関員達が受けていた講習を査察がてら傍聴していた佐久間とはいえ
異国の地でいきなりスパイの真似事など出来るわけもなく
最初の内は要領悪く何度となく手間取った。
けれど意外にも面倒見のいい、そしてスパルタな三好に
最低限の伊呂波を叩き込まれ、一月も経たず覚えて身につけ
二月目には三好の邪魔にならない程度にはそつなくこなせるようになっていた。
周囲に溶け込み目立たず動くのが必須であったこの一年
別人に成り済まし行動する中、協力者との接触ばかりでは怪しまれてしまう為
二人揃って有名な観光地を訪れたり、近所で美味いと評判だった店に通ってみたり
下宿先や遠出した日の宿泊地では夜遅くまでカードゲームに興じながら酒を飲んだりと
なかなかどうして、三好は存外楽しめていたし、佐久間も満更ではないようであった。
これならもう少し続けてもいいか…
などとスパイにあるまじき暢気な考えが過ぎった所で、魔王のお出ましである。
何もかもお見通しかと、笑顔の裏に苦笑をまじえた三好は
隣りで「やっと帰れる!」と口にこそ出さないが妙にそわそわとして
喜びを隠しきれていない佐久間を横目でジロリと一瞥し
一両日中に全ての痕跡を消し終えると佐久間と共に荷を纏め
早々に日本への帰路についており、こうして駅で列車を待っている最中なのだ。

「お土産はもういいんですか?」
「ああ!ちゃんと七人分買ったから大丈夫だぞ」
「…できれば荷物を増やさず身軽でいて欲しいのですけれどね」
「うむ、だから小さくて日持ちするこの菓子にしておいたんだ、文句はなかろう」
「はいはい」

待ち時間のあいだ手持無沙汰だからと
すぐ其処の店で真剣に商品を物色し買い物を終えた男の顔は得意げであり
まさか7人分、つまり他の機関員達全員の土産物を吟味していたとは思いもよらなかった三好だが
さてあの連中が佐久間からの手土産にどういう反応を示すのか
興味の尽きない所ではあったので、無理に止めはしなかった。
ちなみに佐久間が買い込んだ菓子とは、ドイツで有名だというクマの形をしたグミキャンディだ。
パイナップル、レモン、オレンジ、ラズベリー、ストロベリー、アップル
味の異なる色とりどりの詰め合わせ。
世の男は案外甘い物が好きだ、とはいえ、いい歳した大人が大量に買うのは些か忍びない
という見栄よりも、持ち前の実直な律儀っぷりを漢前に発揮するのがこの佐久間である
「手ぶらでは帰れんからな」と
何の曇りもない満足そうな顔はいっそ清々しくすらあった。

「さぁ、道草もこれぐらいにして、そろそろ列車が出る時間ですから、行きますよ」
「ああ、付き合わせて悪かったな。……ん?ちょっと待て」

袖をずらし腕時計を見て促す三好を制し、佐久間はどこかへと淀みない足取りで歩いて行く。
仕方なしにその後を追いながら視線を先に飛ばしてみると
5〜6歳ぐらいの小さな少年が、泣きながら立ち往生していた。
混雑している駅の構内だ、親とはぐれたのだろう。
一瞬で推察した三好は、けれど面倒事には首を突っ込まないつもりだった。
周囲の注目を浴びるのはよろしくない。
しかし佐久間はと云えば、

「どうしたんだ、迷子か?」

三好が止める暇もなく少年に話し掛けていた。発音の怪しいドイツ語で。
三好は思わず眉間に寄ったシワを人差し指で押さえつけ大きく溜息をつき
二人の傍に行くと佐久間の二の腕を掴んで引き寄せ
「どういうつもりですか」と低音でなじった。
あれだけ教え込んだスパイの基本をもう忘れたのか
それにこんな事にかまけていては予定の列車が出発してしまう、と。
すると佐久間は同じように抑えた声で
「任務は無事終えたんだろう?なら急ぐ事もない。次に来た列車に乗ればいいじゃないか」
と一丁前に口を尖らせて三好に意見し
貴様は冷血漢かとでも云いたげに責めるような目を寄越すので、三好はやれやれといった風に肩を竦めて見せ
「仰せのままに、お姫様」と軽口を叩き、佐久間のしたいようにさせる事にした。
こうと決めたら曲げないのが佐久間である。
それを重々承知しているだけに、糠に釘を打つつもりもなく
三好は説得を諦め、まったく気乗りしないものの佐久間を手伝うことにした。
厄介事は早めに片付けるに限る。
めそめそとぐずる子供の手を引く佐久間と共に親を探しがてら駅員を呼び止め
事情を説明し預けようとしたものの、何故か小さな手は佐久間の大きな手を握りしめて離さないので
親が迎えに来るまで付き合う破目になり、結局見送りとなった列車は遥か遠くだ。
次の列車の時間までに親が来てくれる事を切に願うばかりの三好が
よもや長期戦もありえるかも知れないと覚悟を決めかけた頃
ようやく子供の親とみられる男女が駆け寄って来て
しっかり抱き合い泪ながらに感動の再会を果たす。
一件落着だ。
安堵の息をつく三好の横では、両親に厚く感謝されている佐久間が
照れくさそうに破顔する。
そんな顔も出来るのかと、三好は少し目を瞠った。

「本当に有難うございました!」
「いえ、自分は当然の事をしたまでです。それではお気をつけて」

頭を下げ続ける両親と、いつまでも手を振る少年に片手を振り返す佐久間が
親子三人の姿が見えなくなって振り返ったのを見計らい、三好はすかさず厭味を云う。

「お人好し」
「やかましい。それより、次の列車はいつだ?」
「そろそろの筈ですよ」

時刻表を暗記しているのか、腕時計のみを確認し返事をする三好に一つ頷き
何を云われても既に動じない域に達している(三好と1年間暮らした賜物)
佐久間は設置されたベンチに腰掛け、三好もそれに倣って隣に座る。
それから時間潰しの他愛ない会話をして、どれぐらい経っただろう
待てど暮らせど次の列車が来ない。
とうに予定の時刻は過ぎている。
これは何かあったなと見当をつけた三好が
近くに居た駅員を捉まえ事情を訊くと、どうやら激しい列車事故があったらしく
爆発を伴ったその被害は甚大で、死傷者も多数出たとか…
黙って話しを聞いていた佐久間は何ともいえない憂いを帯びた視線を三好に投げ
三好は口を噤んで首を振って見せる。
事故ならどうしようもない。
復旧するまで待つのも構わないが、適当に車を見繕った方が早いだろう。
さてどうしたものかと考えを巡らせた三好は、ふと思う。

もし、佐久間が此処におらず、三好一人だったならば、自分はどうしていたか。
無論迷子など躊躇なく見捨てて、予定通りの列車に乗り込んでいただろう。
事故に巻き込まれるとも知らずに。
そしてこれまで培ってきた技術、経験など一切関係なく
何の手立てを構ずる間もなしに一瞬で、理不尽に、予期せぬ不運に抗う事もできず
あっさりと、または苦しんで命を落としていたかも知れない。

「…っ」

そう考えると、不覚にも足元が揺らぎ
三好は佐久間に悟られないよう意識して脚に力を入れ、そっと息をついた。
たまたま偶然が重なり、奇跡的に災いを免れることができた
と判じるほど、三好は楽観主義ではない。
そもそも偶然などこの世に存在しない事は、身に染みて了解している。
己が信ずるものの中に神など含まれていない、しかし今回ばかりは
なにか不可視の大きな力が佐久間を生かそうとしているとしか思えてならず
然り、この男はこんな所で死ぬような男ではない
助かるべくして助かった、そういう事なのだ。
では三好はどうなのか。
佐久間により救われたこの命は、一体何の意味を持つ。
どんな使命によって永らえた。

「………そうか」

唐突に確信する。
たった今胸の内に芽生えた覚悟は、云うなれば必然であり、天命とすら思えた。

「借りなんてまっぴらです。今度は僕があなたを護ってさしあげますから」

そのスパイにあるまじき誓いは、周囲の喧騒に紛れ
佐久間に届く事はなかったけれど
三好は穏やかに口角を上げ、「行きますよ」と、迷いのない足取りで歩き出した。

 



【終】


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あとがき

こういう展開だったら私は嬉しいのですけれど…公式の容赦の無さよ…(白目)
ところで佐久間さんが買ったグミ、メーカー伏せてますが
今から90年以上も前に製造が開始されたそうで、ビックリしました^^;
無事に三好と日本に帰って、機関員達(全員揃ってるご都合主義w)
皆で楽しくお菓子パーティーすればいいんじゃないかなと思いますv

2016/06/19  いた。