『一八』 -#6-

 

沽券の譲渡は終えた。
家財の方も半日と経たず全て政宗の手下共によって運び出され、屋敷はモヌケの殻。
そして優美な庭を整える庭師から、身の回りの世話をしてくれた下女まで
使用人達とて一人残らず居なくなってしまい、これまでの生活感が嘘のように閑寂としている。
されどそれを嘆く暇もなく、次の日の午前、幸村は政宗に腕を引かれ、町の裏道を歩いて居た。

「っ、今度は、何処へ…!」
「黙ってついて来な」

相変わらずの有無を云わせぬ声色に、それ以上の追求を諦め、大人しく口を噤んで後に続き
やがて辿り着いたのは、一軒の彫屋であった。
こんな処に一体何の用があるのだと、訝しがるその目前で
政宗は通い慣れた店に入る足取りそのもので、さっさと引戸を開け中へと進む。

「邪魔するぜ」
「いらっしゃい。 って、独眼竜の旦那じゃないですか。またどっか彫り物を増やすンで?」
「NO、オレじゃねェよ、コイツだ」
「…!」

と、浅く振り返りざまに親指で指され、幸村は愕いて顔を上げる。

…今、誰に彫ると云ったのだ…?

不穏な科白が耳に入り、身に迫ろうとしている危機を敏感に察して
ジリと後退ろうとするが、生憎と腕を掴まれた侭なので動けない。
一瞬にして冷汗が噴出す。
思わず救いの手を求めて彫師の男の方を見れば、ピタと目が合い

「…こりゃあ、上玉ですね。 そういえば竜の旦那が誰か連れて来るなんて、初めてじゃないですか?」

珍しい事もあったもんだ、とか何とか云いながら、検分するようにジロジロと遠慮のない視線を向けるので
幸村はすぐに相手が自分を助けてくれるような良心的な輩ではない事を理解した。

「御託はいい。オレはテメェの腕を買ってンだ。一仕事頼むぜ」
「へ、旦那にそう云われちゃあ、応としか云えねぇっすよ。 で、ご希望は?」
「ベースとデザインはオレと同じでいい。但し、色は紅だ」

後は適当にアレンジしてくれ、と気軽に云ってのけたその科白に、ヒクと幸村が引き攣ったのは云うまでもない。
此方の意思など全く関係なく、勝手に進められる話はもう、途中から殆ど聞こえなくなり
必死に此処から逃れる術はないのかと模索すれども、焦りに焦る思考はまともな策を思いつかず…
まして、視線を走らせたその先で、たくさんの針やら墨やら様々な道具が目に飛び込むと
沸騰した恐怖心で居ても立ってもいられなくなり、あらん限りの力で政宗の手を振り解こうとしたが
逆にすかさず手首を捻り上げられ、作業場らしき畳張りの一角の、薄い敷布の上に押さえ込まれてしまう。

「…やめ!堪忍して下され…!!某、入墨など…っっ」
「Ha!往生しな。人が仏心でテメェに箔を付けてやろうってンだ。
 オレの所有物だってのに、こうも垢抜けねェ餓鬼の上に飾りっ気が無ェんじゃ、オレのプライドが許さねェ」

世間一般で云う処の、『沽券に関わる』ってヤツだな。
と云って、政宗がニィと口角を吊り上げる。…何たる厭味だ。
しかし当の幸村は、そんな底意地の悪い言に気付く余裕すらなく、ジタバタと暴れる事をやめない。

「Ah−…忘れちまってるようだから一つ云っとくが、テメェに抵抗する権利は無ェ。
 それに、薄汚ェあの六文がどうなるか、全てアンタ次第なんだがなァ…」

いい加減、何度も何度も云わせるなよ…?
その低い声色は果たして、絶大な効力を発揮した。
悪足掻きに近かった幸村の抵抗が、パッタリとやむ。
政宗は満足気に鼻で嗤うと、立ち上がって幸村から離れ

「OK、後は頼んだぜ」

云って畳の縁へどっかりと腰を下ろし胡坐を組んだ。
頼まれたはいいものの、本当にやって大丈夫なのかと、彫師はチラと幸村の方へ視線を向ける。
口惜しげに唇を咬み、うつ伏せで敷布を握り締めて、怯えるように小刻みに震えており
戦々恐々も甚だしく、本意を政宗に捻じ伏せられ嫌々ながら従って居るのが丸判りだ。
さすがに同情心の一つも湧こう。
されど彫師とて、政宗に逆らえぬは同じ事。
意にそぐわねば、どんな恐ろしい目に合うか判ったものではないのだから。

「…それじゃ、早速始めさせてもらいますよ」

悪いが俺も我が身が可愛いんでね、、という言葉を飲み込んで
彫師は愛用の道具一式を畳の上に並べると、石のように身を強張らせている幸村の着物に手をかけ
脱がせ難い事このうえない其れを、手間暇かけて漸く腰の辺りまで肌蹴させた。
次いで背や肩に流れていた栗色の長い後ろ髪を梳くように退けると、どうだ
傷など見当たらぬ小奇麗な白い肌と、程良く引き締まった背肉が現れる。
こんな綺麗な代物にむざむざ針を入れるのは忍びない…と申し訳なく感じるのと同時
是非ともこの貴美な躯に最高の入墨を彫り込んでみたい、という明白な欲望も生じ
ゴクリと音を立てて唾を飲んだ。正直に申すと、後者の感情の方が勝っている。
それにしても…

「…竜の旦那はさ、今まで舎弟達は勿論
 気に入った女にだって彫らせた事無かったんだぜ?…お前さん一体何者だい?」

政宗に聞こえぬよう、ヒソヒソと小声で尋ねた。
だがしかし、そんな事を訊かれたって、幸村に答えられる筈がなかった。
そんなもの、判らない。そもそも、どうして政宗が未だに己を手放さず、斯様な悪趣味を強要するのか…
何もかもの理由を一番知りたいのは、幸村の方だった。

 

――――――――――――――

 

「…ッつ…、ぅ…、、」

薄暗くなる黄昏時になり、ようやっと彫屋から屋敷の離れ家へと戻って来た幸村は
かれこれ半刻ほど奥の間の衾床に伏せって終始呻いていた。
針で墨を入れた箇所が熱を持ってヒリヒリズキズキと痛むからだ。
前室に据えられた膳にも手を付けて居ない。食欲など失せている。とにかく辛い。
無性に佐助に逢いたかったけれども、あの時以来、顔も見て居らぬし
政宗にいくら頼んでも逢わせてもらえず、どんな様子かすら教えてくれない。

(…とことん、血も泪もない鬼のような男だ……いっそ天誅でも下ればいいものを…)

と仕様の無い恨みを募らせて居ると、いきなりガラリと引戸が開き
当の男が姿を見せたので、愕いて顔を上げる。

「Hey、いつまでくたばってやがる。情けねェ」
「、ッ…!」

掛けられた声に返事もせず、痛苦治まらぬ背に歯を食い縛りつつ目を逸らすと
クツクツと咽喉で嗤いながら近付いて来た男が
「その程度で音を上げてンじゃねェよ。まだ一割も済んでねェってのに」
などと云って、脹脛の辺りを片脚で小突いて来た。
その僅かな振動でさえ、背に着物が掠って痛みが走る。
絶対にワザとだ。まっこと非道い輩である。
泪目になって拳を握って居ると、「出掛けるぜ」、という唐突な一言の後、またしても強引に腕を引かれ
連れて行かれたのは屋敷の外、夜の町
賑やかに華やぐ通りの一角、見覚えのあり過ぎる賭博長屋だった。

 

「丁方ねェか!半方ねェか!」

聞き慣れた煽り文句と、それに応える博徒達の興奮気味な声が飛び交う中
最初に「其処で黙って見てろ」と政宗に命じられていた幸村は
部屋の隅の方の壁際に、小さくなって座って居た。
以前あれだけ夢中になっていた賭け事の筈なのに、今は左様な感情、微塵も湧きはしない。
何せ目の前で行われている博打の所為で、手篭めに遭ったばかりか全財産奪われ、今は軟禁暮らしだ。
自業自得とはいえ、我ながら酷い話だと思う。
ただ、そこで忘れてはならないのが
この間の最後の真剣勝負は別として、政宗はイカサマをする、という事。
今回使われている賽子については、細工がされているのかどうか確認できていないので、何とも云えないけれど
きっと自分と同じように、いいようにカモにされている博徒が数え切れぬ程居る筈だ。

(…みな勝負を操られているなど、露程も気付いておらぬのであろうな……)

そう思うと、何とかして教えてやって、泣きを見る前に賭けをやめさせたいのだが
口出しは禁じられており、苦々しい心持ちで傍観するしかない。
そんな幸村を他所に、長屋の中は最高潮の盛り上がりを見せ
ふと政宗の方に視線を向ければ、着物の片方の袖を脱いで、いかにも壷振りらしい片肌脱ぎになっており
そのあらわになった右の上半身を目にして、ハッと息を呑んで瞠目した。
屋敷の離れ家の奥の間で見た、月天蒼竜図が、そのまま背に施されていたからだ。
肩や二の腕、胸の辺りにも、鋭い鉤爪を持った竜の真っ蒼な胴が蜿蜒(えんえん)と続き
その猛々しい荒竜を映えさせるが如く、蒼白い稲妻模様も幾筋か走っている。
博徒・火消し・鳶・飛脚など、肌を露出する職では、入墨をしていなければ寧ろ恥であると見なされ
彫り物が空前に流行る昨今、これだけ美しく凝った物は中々お目に掛かれぬだろう。
加えてその入墨の迫力に全く劣っておらぬ男の見目好しっぷりと
貫禄というより、周囲に一歩引かせる只ならぬ威圧感が見事に相乗して、数瞬魅入ってしまうぐらいだ。
それはさておき、昼間政宗が「オレと同じ」と云っていたからには
アレの色違いが己の肌に彫られようとして居るらしい。
気付いた幸村は頭を抱えずには居られなかった。
あんな大作、一体彫り上がるまでどれだけの時間がかかる事やら……
即ち、今日味わった苦痛がずっと続くのだと、想像するだけで全身が引き攣る。
今すぐ此処から、政宗の元から逃げ出したい。切実にそう願う。

(……佐助、どうか俺に知恵を貸してくれ…っ)

困った時や迷った時、いつも頼りにしている存在はしかし、政宗に取り上げられている。
佐助ならば、きっと妙案を思いつくに違いないのに、、
…いや、そんな贅沢など云わぬから、せめて一目だけでも逢いたい、、
幸村は己の無力さと膨大な積寂の念に苛まれつつ、賭場の熱気から完全に孤立して、音も無く項垂れた。

 

そうして、次の日、その次の日、また次の日も、来る日も来る日も、予想通り彫屋通いが続く。
ただ、政宗がついて来たのは最初だけで、次からは舎弟の者が一人
付き添いという名の見張り役で、幸村について廻った。
此奴は確か、賭博長屋でも見張り番をして居た、小十郎という男だ。
これだけ重用されるからには、余程に政宗の信頼を得ていると見て相違ないだろう。
一度たりとて口を利いた事はなく、その人となりは判らぬが
前に賭場に乱入しようとした折に、肩を掴んで阻んでみせたあの尋常でない力強さは忘れない。
政宗だけでなく、この男にも下手に逆らわぬ方が身の為だと、幸村にしては賢く悟っていた。

「…ッ、…く…っ、う……っ」

今日も今日とて畳の上に這い伏して、必死に歯を食い縛って針の痛みを堪える幸村であったが
今回はいつもにも増して酷い激痛が伴う。
脂汗を浮かべて顔を歪めていると、「皮膚の薄い部分は特に痛ぇから、しっかり辛抱しろよ」 と彫師が云う。
そうなのか、と納得した処で、痛みが引く事はないのだけれど。

(嗚呼、、でも、これは…っ本当に……痛い…ッッ)

俗に墨を入れる行為を「がまん」などと呼ぶだけある。
耐えかねて、完成前の半端彫りのまま逃げ出す者も少なくないというのは良く聞く話だ。

(…いっっ、ツ…! あ…もう、もう駄目だ…!)

と、幸村が音を上げてしまうのも致し方ない。
もともと自ら望んでやり始めた事ではなく、強制的にさせられて居る事であるし
痛いのも苦しいのも大嫌いだ。誰が好き好んで斯様な拷問染みた行為を喜び勇んで甘受するものか。
それに、これ以上やられては死んでしまう。
半泣きになって歯軋りしつつ、終に「逃げてやる」、と決心した。
六文銭を盾に脅され、これまで辛抱して来たが、今はその大事な物でさえ、手放して良いやも知れぬと思う。
それほどに、辛いのだ。

「、、く…!」

幸村は彫師が作業場から居なくなった隙に、急いで着物を肩の上まで引っ張り上げ
見張り番の小十郎が立って居る戸口とは逆にある、奥の裏口から急ぎ足で抜け出した。

「…はぁっ、はぁっ、…は、、ッ」

息せき切って狭い道を走って走って、漸く町人が溢れる表通りに出た時、ふと佐助の事が頭をよぎる。
その場の感情に身を任せ、勢い此処まで来てしまったものの
あやつを置いた侭、自分だけが逃げて良いのか。…否、良い訳がない。
されど、一度あの離れ家に閉じ込められてしまうと、政宗が来るまで絶対に出られぬ。
そうなってしまっては、自分が逃げるどころか、佐助を助ける事なんて出来やしない。
だったら、一先ず先に逃げ果せた後、その旨を政宗の屋敷の使用人か誰ぞに言付けるなり何なりして佐助に報せ
次いで佐助も逃げてしまえば万事解決である。
然らば、まずは政宗や小十郎に見つからぬ内に町の外へ出るか
彼らが手を出せぬ御番所に庇護を求めるかのどちらかになる。
そこで幸村は、迷わず後者を選んだ。
何故なら、金子も何も持たぬ幸村が、よもやたった一人で町の外へ出て、一体何が出来ようか?
そう、何も出来ぬ。頼れるツテがある訳でもなし、道に迷って餓えるのがオチだ。
ならばおのずと選択肢は決まる。

「っ…、大丈夫だ、きっと上手く行く…!」

…と、本気で政宗から逃げられると思っている事自体が
既に根本的に間違って居ると気付くのは、今暫くの後であり
相変わらず考えの甘い幸村は、さも打開策を講じるような気になって、町廻りの同心の詰所へと駆け込んだ。

「った、助けて下され…!」

すっかり息が切れ、それでも懸命に声を張り上げると
騒ぎを聞きつけた同心達が、なんだどうしたとすぐに集って来る。

「…某っ、伊達政宗から、逃げて参った!どうか、お助け頂きたく……!」

途端、ザワリとどよめきが広がった。
さもあらん、悪い意味でこの町で知らぬ者など居ない大物の名が出ては、さすがの同心達も面食らうというものだ。
だが徒事ではないとすぐに察したのか、「詳しく聞かせてくれ」と促すので
幸村は時折詰まりながらも、何とかこれまでの経緯を説明した。
すると、「事情はだいたい判ったが、だからと云って鵜呑みにする訳には行かない
まずは身の証が立つまで、暫し待て」と云い渡され、荒い呼気を落ち着けながら、小さく頷く。
己に出来る事はやった。後は沙汰を待つだけだ。
これからどうなるか判らぬが、あわよくば政宗が縄につく事を願い、幸村はぎゅっと着物の袖を握った。

そうして、どれ程の刻が経っただろう。
空の陽が沈みかけ、侘しい入相の鐘が聞こえ始める頃
疲れ果てウトウトと舟を漕いで居た幸村は、いきなり同心の男に「立て」と命じられ
詰所の敷居の処まで連れて行かれる。
一体何事か、もしや吟味与力の処へ行って、仔細を話す事になったのかと
一抹の期待すら抱いたものだが、しかし次の瞬間、その顔は恐怖で青褪め引き攣った。

「Hi、迎えに来たぜ?幸村」
「ッ…な、ぜ…! 貴様が此処に……!!」

居る筈のない男が、居てはならぬ男が門の外で待ち構え
不愉快な笑みを寄越し、幸村の方へゆるりと片手を上げて見せたのだ。
これはどういう事だと、一歩後ろへ後退れば、味方と思うて居た同心が、遮るように肩を掴む。
いよいよ混乱した幸村は、ハクハクと魚のように口を開閉して立ち尽くし
政宗は其れを嘲るが如くこう云った。

「此処ら一帯の捕り手含め、だいたいの役人共は、オレん処の博徒だ。
 つまり、云いたい事は判るな?」
「…ッ!!」

二足の草鞋を履く、まさにその言葉通り
悪質な賭博を摘発し取り締まるべき立場の者が、実は政宗が抱える博徒であったならば
其れは要するに、役人達が幸村を匿う事や、まして政宗を牢に捕らえるなど、進んでする訳がないという事。
知らなかったとは云え、左様な輩に事細かく事情を説き明かしてしまった幸村は、激しく後悔した。
此奴らの首魁である政宗に、すぐに報告がなされるのは当然である。
おまけに名を問われた際、正直に「真田幸村」と答えてしまって居た。
幸村に並々ならぬ執着を見せる政宗がそれを聞き、黙っている筈はない。
直々に此処まで足を運び、連れ帰りに来たのだ。

「まったく…オレから逃げようなんざ、イイ度胸じゃねェか。
 あれだけ云っても、まーだ自分の立場ってヤツを理解出来てねェみてーだな。
 しゃーねェ…莫迦なアンタにも判るよう、特別ハ−ドな仕置きをしねェとなァ…?」

来い、と地を這うような低音で吐き捨てた政宗に容赦なく手首を掴まれ、幸村は屋敷へと引き摺られて行った。

 

 

【7へ続く】


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あとがき

いつもの事ですが、グダグダになってしまいました;すみません;;;
次回、必●仕置き人(笑)政宗さんによる調教タイムですvお楽しみに★

2011/05/28  いた。