※流血、残酷描写を過分に含みます。後半、果てしなく血みどろで薄暗いです。
 いよいよ筆頭に手が付けられません。そして佐助が死にます。苦手な方、佐助好きな方はご注意を…!

 

 

『虎口を逃れて竜穴に入る(下)』

 

幸村が道場に閉じ篭ってより三日目の早朝である。
例の如く天井裏から顔を見せた佐助が、「大将が呼んでるよ」と云うので
ようやっと槍から手を放した幸村は、ふらふらと覚束無い足取りで外へと出て
身支度も漫ろにお館様の元へ、躑躅ヶ崎館と参じた。
いまだ心の霧晴れる気配もなかったが、お館様からの招集の命とあっては、動かぬ訳にはいくまい。

「お館様、幸村に御座います」
「おお、来たか幸村」

入れ、と云う声に、襖を開いて中へと進み、両手のサラシが目立たぬよう深く平伏した。

「おぬしを呼んだのは他でもない。長らく続いておった奥州との小競り合いの件じゃ」
「…はっ!」
「あの小童、此処に来て一時休戦を願い出て来よってな」
「……なんと…!」

詳しくお聞かせ下さい、と思わず身を乗り出せば
信玄は深く頷き、奥州国領主より直々に親書が届いたのだと、愉快そうに破顔して見せ

「しかも、名代は是非におぬしをと、名指しでじゃ」
「……!!」

直後、幸村の顔は見事に引き攣った。
不意に己の名が出て来ようとは思いもせぬ。
まして、休戦と聞き、これであの男と暫く顔を合わせないで済みそうだと
安堵の息をつきかけた処へ、まさかの名代話だ、出来るなら全力で断りたい。
とは申せ…

「無論、立派に儂の名代を務めてくれるな、幸村」
「…御意…」

そう答える以外、ないだろう。敬愛するお館様の御諚だ。
幸村は今にも泣き出してしまいそうに歪む顔を、平伏する事で何とか隠した。

「それと、おぬし宛てに一通、文が届いておる」
「……は? 某に、で御座いますか…?」
「うむ」

差し出された薄い書状を受け取ると、差出人は片倉小十郎とあり、目を剥く。
奥州の重臣から、まさか一介の武将に過ぎない己に何用かと
半信半疑にまじまじと見詰めつつ封に手を掛け
しかし御大将の御前で広げるのは憚られる、と思い直し
自室に下がってから検めると伝えて、一旦居間より辞した。

(…一体、何故某に…)

考えながら、幸村は己に宛がわれた座敷に辿り着くと
「佐助」と呼び、すぐに音も無く現れた姿に、「どう思う」と問うた。

「さぁねぇ…とりあえず、開けてみなよ」
「そうだな」

まずは中身を確認しなければ始まらない。
幸村は頷くと、折り畳まれた書状を広げ、ザッと目を通した途端、またもや瞠目した。

『何があろうと、政宗様から逃げろ。次に捕まった時が、てめぇの最後だ』

と、竜の右目と呼び称される程の男が、わざわざ警告文めいた物を寄越して来たのである。
これにはさすがの幸村も佐助も愕いた。
遠い甲斐にまで、智将と音に聞く男であるから、何らかの策略かと一瞬疑いもしたが
これまでの伊達の行動を顧みればこそ、それはないと確信できる。
あの男、あまりに常軌を逸して居るからだ。
さしもの右目も黙って見て居られなくなったのだろう。
だとすれば、この警言は嘘偽り無く、真であるのだという事が知れる。

「…どうするの、旦那」
「…どうするもこうするも、行くしかあるまい」

お館様より直々のお達しだ、まさか辞退など出来よう筈も無かろう。

「そう…。じゃあ念の為、俺様もついて行くから」
「…ああ」

二人、口に出さずとも、胸中を襲うは凄まじい不安と厭な予感であり
それでも幸村は小さく震える手で文を置くと、旅支度に取り掛かった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「…何で来やがった」
「お館様の命なれば…」
「……忠告はしたからな」

数人の供を連れ、奥州は米沢城へと到着した幸村は
門先で出迎えた片倉に、開口一番に云い刺され、小さく頭を下げた。
それをどう思ったか、色々な感情を綯い交ぜにした複雑な表情を浮かべた片倉は
不自然に抑揚を欠いた声で続けた。

「…いつも引っ付いてる忍はどうした」
「佐助の事にござるか?あやつは忍ゆえ、無論忍んでおります」
「…そうか」

刹那、安堵の表情を見せた事に気付き、幸村は口を開きかけたが、結局何も云わず噤む。
普通、戦忍が随従してきたなどと聞けば、己の主の身を案じて眉を顰めそうな処であるのに
明らかに其れとは真逆である事が、異様な緊張感をもたらす。

―――嗚呼。判っているとも。危機迫っているのは此方の方だ。

幸村は何日も前から拭い切れない冷たい汗が、ツッと背筋を伝うのを感じたが

「…片倉殿、案内を」

気丈な声色で促した。

「……わかった」

短く答えた片倉は、クルと背を向け歩き出す。
それきりお互いに沈黙した儘、城内へと入ってすぐ、まず幸村は武田の供の者達と引き離された。
故を問えば、「それが政宗様のご意思だ」と、硬い声が云う。
この時点で、幸村は濁った不信感を覚えるが、まさか否を唱えて佇立するなどと
名代として参ったというのに無作法な真似は出来ず、黙って後に続く。
そうして黙々と廊下を進むこと暫く、豪奢な謁見の間、ではなく、其処を過ぎた更に奥深く
なんと城主御座所前に直接通され、「これはどういう事か」と声を抑えて問うものの
今度は答えはなく、ただ静かにスルリと襖が引かれた。

「ッ…!」
「よく来たな」

途端、中に居た男と目が合い、幸村は蛇に睨まれた何某かのように、ビクリと硬直する。

「遠路遥々ご苦労さん。ホントは迎えに行きたかったンだが、」
「政宗様、」
「あん?何だ、小十郎、まだ居たのか」
「休戦の約書を交わす御予定の筈。然らば…」
「Shut up。オレは今幸村と話してンだよ。首を飛ばされたくなけりゃ、とっとと下がりな。
 それに、テメェには用事を云いつけてあるハズだ」
「……御意」

脅し文句ではない剣呑な凄味に、片倉は追言を許されず、頭を下げる。
そして一瞬だけ幸村へ何とも云えぬ憂いを帯びた視線を寄越した後、座敷を辞してピタリと襖を閉めた。
取り残された幸村はと云えば、これまでの気丈夫な振る舞いは何処へやら
棒のように居竦んでしまって、それはもう哀れである。

―――此処で、伊達の云う「用事」とは何か、少しでも気に留めていたなら
或いはこの先に起こる惨劇を防げたかも知れない。
そう幸村が嘆き悲しむのは、今暫くの後であり
差し当たっては、未だ凍りついたように動けずに居た。

「さて、邪魔者は居なくなった。まァ座れよ」

その言葉で、ハッと漸く我に返ったものの
伊達が自身のすぐ正面を扇の先で指す処へ、唯々諾々と腰を下ろす事はできない。
急沸騰した警戒心が邪魔をして、易々とは膝を折れぬのだ。

「sit down、座れとオレは云ったンだが、聞こえるよう耳元でもう一度云ってやろうか?」
「……っ、いや…、結構にござる…」

そんな幸村に業を煮やすでもなく、萎縮する相手を甚振るが如く優越の低音で囁いた伊達が咽喉で哂い
幸村はやや間を置いた後、本当にそんな事をされては堪らないと思ったか、慌てた様子でぎこちなく正坐した。

「クク…猫みてェに毛ェ逆立てやがって…。ちったァ楽にしろよ」
「……冗談を申すな。貴殿を前にして、気など抜かぬぞ」

不愉快な笑みを浮かべる男が鷹揚に胡坐を組む一挙一動も見逃さぬとばかりに
幸村は油断無く睨み据えながら、まさしく威嚇するように唸る。
それを愉しげに見遣りつつ、伊達は徐に口を開き

「とりあえず、本題は後だ。まずは飲めよ」

と、手近にあった銚子を傾け盃に注ぐなり、幸村へと差し出した。
しかし、当人は面食らったような顔で、受け取る事もせず
サラシで真白い拳にピクリと力を入れる。
当然だ。
何が混入されているか判らないのだから。

(…間違っても、決して、口になどするものか…!)

幸村は唇を横一文字に引き結んで、大きく首を左右に振る。
されど伊達は余裕の表情を崩すことなく
それどころか、ニヤリと粗悪な笑みを浮かべ、こう云った。

「Ah〜別にいいぜ、好きにしな。アンタの大好きなオヤカタサマに一報入れとくだけだ。
 休戦祝いも兼ねた持て成しの一献は、素気無く断られ、まことに遺憾でありました、ってな」
「…っく…!」

左様な卑怯な物云いをされては、幸村はぐうの音も出ない。
己の不躾な行いの所為で、よもや今回の話が破綻となっては、お館様にあわせる顔がなかろう
不本意ながらも喫する以外の道は見事に断たれたのだ。

(儘よ…!)

幸村は腹を括ると、目の前の朱塗りの盃に手を伸ばし、グイと一気に呷った。

「Good、イイ飲みっぷりだ」
「…御託はよい、早急に書状を交わし、某は甲斐へ帰らせて頂く…!」

例え一服盛られようとも、それが躯に巡る前に、とっとと暇えば良いのだ
それに、いざと云う時は佐助が居るではないか。
そう思い、懐から早速お館様から預かった書状を取り出そうとするも
上手く指先が其れを掴む事が出来ず、やきもきする。
焦っている所為だろうか。
幸村落ち着け…と己に云い聞かせつつ、再度懐をまさぐって
漸くしっかりと指に挟み、揚々と引っ張り出したのも束の間
伊達に手渡す前に今度はボトリと畳に落ちる。
何をそんなにうろたえて居るのだと、若干頬を染めながら、すぐに拾おうとしたが
何故か、どうしても、手に掴めない。

「…うっ…、あ…、、」

其処でやっと異変に気付いた。指先の感覚が無いのだと。
勧められた酒を口にしてから、さほど時間は経っていないと云うのに
これほど即効性があろうとは予想だにせず、恨みがましく視線を上げれば
毒を仕掛けた張本人は、其れを食らって身悶える獲物の様を眺めるが如く、したり顔をしている。

「…な、…を、、飲……せた…っ…」

刻一刻と全身を蝕む伊達の悪意そのものを憎悪しつつ、問う声はしかし無様に震え
いよいよ取り返しのつかぬ事になる前に、「佐助」と名を呼ぼうとしたものの
手が、足が、舌が、痺れ、呂律が廻らぬ。
視界も朧げに霞みだしては、正坐している事も儘ならず
幸村は必死に体勢を維持しようとするが、抗いきれずに、ズルズルと畳に這い伏した。

「誰の助けを待ってるのか知らねェが、天井裏に潜んでたデカい鼠なら、疾うに捕まえたぜ?」
「…ッ…?!」

含みのある云い方に、幸村はまさかと鼓動を跳ね上げる。
一寸後、「小十郎」と呟いた伊達の声に、閉じていた襖が音も無く開き
ドサリと縄を打たれた傷身が無造作に投げ込まれた。

「…!!」

見間違える訳が無い、佐助である。
其処でハタと合点がついて青褪めた。
先程からオカシイと思って居たのだ、何処からか此方を見守っている筈のあやつが
どうして中々助けに来ないのかと。
その理由は現状を見れば明らかであった。(伊達が云った「用事」とは、この事だったのだ)

(…っどうして、なにゆえ…っ、貴殿が…!)

声にならない訴えを片倉へと叫べば、暗い双眸が此方へ向き

(…俺は、政宗様には逆らえねェ…)

幸村と同じく、言外な悲鳴を上げた。
果たして、先刻の門前での、あの刹那的な安堵の表情は
例え城主からいかなる命令があろうとも、佐助ならば片倉の力を退け
巧く幸村を逃がせるやも知れないという、微かな希望だったのだ。
だが今となっては、やはり其れはただの楽観に過ぎなかったと、胸中は絶望に染まる。
更に此処で、元凶である男がゆらりと腰を上げ、ゆっくりと佐助へ近付くので
これ以上何をするつもりなのだと二人が目で追えば
台座に据え置かれた刀を取り上げ、鞘からスラリと引き抜き

「Ah−…や〜っと一番気に食わねェヤツを殺れる…」

恐ろしい漫ろ言を呟きながら、切っ先を向けるではないか。
今までに味わわされたどんな状況よりも、遥かにゾッとする光景に
幸村は声も出せず息も出来ず、ワナワナと唇を戦慄かせ
渾身の力を込めて佐助の元へと這いずり寄ろうとしたが、どうやっても躯が云う事を聞かない。
全身が麻痺している。
とてつもない焦燥が燻って仕方ないのに、指先一つ動かせない。

「オレはテメェが心底鬱陶しかった…。オレの幸村に、近過ぎるンだよ…」

その間にも、自分勝手な独り言をやめない伊達は、憎々しげに吐き捨てると

「But…、これで安心できる、ぜ!」
「…!!!!」

手にした刀を躊躇なく真っ直ぐに突き下ろした。
ズグッと何とも云えぬ鈍い音を立て、一刀は深く佐助の首を貫き
続けて伊達が力任せに横薙ぎに刀身を払うと、夥しい血潮がバッと噴き出し
幸村の頬にピシャリと生微温いモノが散り届く。

「…は、あ…!あァあああ゛ッ…!!!!」

直後、座敷に響き渡った慟哭は、凄まじく
堪らず目を背けた片倉の横へ、ガシャリと放られた血塗れの刀が音を立てて転がり
「目障りだ、アレを片付けろ」と低い声に命じられたが、とてもではないが動けなかった。
アレと指された佐助の首は、半ばから引き裂かれ、あらぬ方へと傾ぎ
畳に広がる赤潮は尋常ならざる量で、ましてや発狂に達するかと云う幸村の叫喚は
かつて耳にした事もないような壮絶さだ。

「Hum」

そんな中、己の指示に従わぬ重臣など気にした風もなく目を逸らした伊達は
いまだ泣き叫ぶ幸村の傍へ、何事も無かったかのように悠然と歩み寄ると
ダラリと力無く横たわる躯を腕に抱き寄せ、至極嬉しそうな顔で覗き込む。

「どうした、そんなに泣いて。アンタも嬉しいか?ん?」
「っ、…!う、ぅう゛、、ッ……、ふ…!!」

見当違いな事を云い出した男に、怨言・罵詈讒謗を浴びせたいのに
毒がとうとう声まで奪ったか、咽喉の奥まで痺れが来て
悲鳴はおろか、次第に呻き声すら小さく掻き消える。
喚き散らす事も、大声を上げる事も叶わず、幸村は荒い呼気に「殺してやる…!」と
声にならない声を乗せ、射殺さんばかりの眼光で伊達を睨んだ。

「…その目、最ッ高だぜ…。そうやって、オレだけ見てりゃイイ…。
 オレはなァ、アンタの表情が好きなんだ…
 口惜しげに歪む顔も、羞恥に震える顔も、無様に怯える顔も、恨みに染まる顔も、」

全部、な…
蕩けるような猫撫で声でうっとりと囁き、淀み切った隻眼に熱望を孕ませ

「今度はアンタの、快楽に溺れた顔が見たい…」

木偶のように投げ出された幸村の下肢をゆったりと撫で上げ
片手をスルリと着物の衽より差し入れると、太腿の内側をいやらしく撫で回した。
幸村は黒く胸中を焼き焦がす復讐の念を滾らせながらも
唐突に背筋に蘇った氷塊のような厭な悪寒を感じ

(…佐助、あの時のお前の言葉を軽んじた結果がこれだ…、許してくれ…っ…)

己はどうしようもない莫迦だと、しかし力の入らぬ身では奥歯すら噛み締められぬ歯痒さに
自身が招いてしまった最悪の事態と有様を、ただただ嘆き後悔する。
虎口どころか、地獄の竜穴に、引き摺り落とされたのではなく、自ら飛び込んだようなものだ。

幸村は掬い取られた掌の真新しいサラシを毟られ、傷口を淫靡に舐められる感触をすら感じ取れず
引き潮のように遠ざかっていく意識を、到頭、手放した。

 



【終】


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あとがき

40100hit(40000hit代替)リクになります。
片思い筆頭(戦国)で、「ストーカーも裸足で逃げ出す変態ぶり+どんどんエスカレート」
という筈でしたが、すみません、明らかに力不足なうえ
話がとんでもない方向にズレてしまいました…(泣) 佐助すまんorz
(でもね、あれぐらいやっちゃう筆頭が大好きなんです…あああ…orz)

2010/10/09 いた。