『咽喉元に凶器を突きつけ愛を説く下劣』

 


日が一番高く昇ろうかと云う、正午。
優しく髪を撫ぜる指先の心地良さに、微睡んだ意識をぼんやりと浮上させ
薄らと目蓋を開くと、通風の為開け放たれている障子の向こうに
穏やかな光に包まれた庭先が見える。
まるで日溜りの中を浮遊しているような暖かさを感じつつ
日陰が程好く涼しい居間の畳の上で丸くなり、再び落ちてくる目蓋に従って
意識を揺蕩わせようとした。


しかし、ふと違和感を覚え、とどまる。


―――静か過ぎはしないか…?


「………、佐助…?」


目を醒まして、尚、ゆるゆると髪を梳く手は
きっと彼だろうと、何ら疑いもせず顔を上げようとした矢先、ギクリとする。

鉄錆に似た異臭が鼻先を掠めた。


何度も戦場を駆け抜けてきた身なればこそ、すぐに其れが噎せ返るような血臭であると判り
緊張で四肢が強張り、背中が冷えていく。
生臭い血の匂いは居間だけに充満しているものではなく
開け放した障子の外からも匂ってきた。
明らかに尋常ではないだろう。
何ぞあったに違いない。
そんな状況にも拘らず、忍びの彼が、何時までも無神経に
こうして戯れ合いをして居るだろうか?
それはない。
何事かあれば、俊敏に働き、逸早く情報を齎す。
されど今、この緊張を見せても尚、何の行動もないのだから、オカシイ。

これは、佐助ではない…?


それならば、今、この髪を撫でているのは………一体誰だ?


「……っ…」


疑問と同時にじわりと、恐ろしい予感が頭を擡げ
脇やら背中やらから沸々と冷汗が噴き出し
意識の最奥の本能までもが喧しく、ガンガンと警鐘を打ち鳴らす。
血の匂いは、どんどん濃くなるばかりで
早く、一刻も早く振り向いて確かめなければ、、そうは思うものの
何故か、絶対に振り向きたくはなかった。


「お目覚めかい?Sleeping beauty…」
「…あ、」


その僅かな葛藤に横槍宜しく、鼓膜にザラリと滑り込む、聞き覚えのある低い声。
それが促す儘に、或いは声を聞いた瞬間から思考を絡め取られ、意の儘に操られるが如く
声がした方へと恐る恐る目を向けると、居る筈のない男が、ゆったりと笑みを浮かべ座していた。
鳶色の髪、深い濃紺の鎧、そうして右目の眼帯。
見間違える筈もない、奥州筆頭 伊達政宗。俗に独眼竜と世に云わしめる男だ。

…一瞬、状況が判らなくなる。

此処は奥州より遠く離れた甲斐。
最近盟約を結んだばかりで、漸く国交も増えてきた近頃だが
文も無く国境越えなど在り得ない。
前以って用を報せる、事前通達が当然とされている。
それを何の前触れもなく無断で領地に侵入しようものなら
例え同盟国と云えど、武田が軍勢が黙っていないだろう。
それを如何して、この男は悠々とこの場に座している?

しかし、最も危惧すべきは
何時からとも判らぬ間に、そうして今現在に至っても、完全に間合を侵されている事実だ。
いくら惰眠を貪っていたからと云って、気配に気付けぬ程、平和呆けした覚えはない。
戦場ではないからと気を抜いてはいたが、いつ何が起ころうとも対処できるだけの構えは常に心掛けている。
要するに忍の彼以外がこの部屋に近付けば、すぐに解るということだ。


「……いつから」
「んなこたァどうだっていいだろう?真田幸村」


瑣末なことだ、と肩を竦めたこの男なら、しかしそれも可能やも知れぬ。
思い直せば、それが出来得るだけの技量を十二分に持っているのだ。
実際に戦っているからこそ知っている、男の格。
一度きりの斬合いの後、周りからは互角と称されたが、中々どうして、何が互角なものか。
武術・戦略・覇気・立ち居振る舞いにおいて迄
自分が何もかも劣っていると感じずには居れぬ。
嘗て羨望さえ抱いた矮小な己を、少なからず情けないと思う
がしかし、今は引けを取っている場合ではないのだ。
早急に、この吐き気すら催す程の血臭の意味を知らなければならない。


「……伊達、政宗…殿」


きっちりと具足を身に付けている男に対し、方や己は身を守る鎧どころか
着流した小袖一つで、愛用の二槍も傍になく
瞬時に首を切り落とされようとも可笑しくない状況の中
男の名を、ともすれば掠れてしまいそうになる声で何とか呼ぶ。
小刀の一つでも握りたかったが、少しでも身動きしようものなら、
頭が胴から離れてしまいそうで恐ろしく
逞しい男の手に頭を預けた儘、窺うように隻眼を見上げると
嗚呼、理由が聞きたいのかと、察した薄い唇が


「迎えに来たぜ?幸村」


嬉しそうに、囁いた。

一体何を云っているのか、理解できず
揺れる視界でその整った顔を凝視し
それから不意に、血塗れの六爪と、羽織の端に明らかに返り血と判る黒い染みが目に付き。

次第に、ある一つの恐ろしい結論が浮かび始め
「否」とすぐに否定するべく頭を振った。


……まさか、そんな筈は…!


そうだ、誰か、、佐助は居ないのかと 必死に気配を探れども
忍んだ彼の姿を見つけることは出来ず。
そこで漸く、最悪の予想が現実に起こり得ているやも知れぬという不安が湧き
段々と指先の感覚が無くなって、厭な汗が幾度もこめかみを伝った。


「……一体、何を申されて…?」


終始薄く笑んでいる男を、問うような、或は縋りつくような目で見上げれば
髪を撫でていた指が、スルリと頬に滑り来て、愛しむようになぞる。
その感覚が、なんとも恐ろしく、ゾクリと震えた。

逃げなければ、殺される。

斯様な恐怖心さえ浮かび、唾を呑んで後退ろうとするのだが
金縛りにあったように、ピクリともその場から動けぬのだ。
まるで、男の真っ暗な闇色の瞳に四肢を捕われているかの如く
視線すらも、逸らすことが叶わず。


「……あ…、、」
「どうした?顔色が悪ィじゃねーか」


心配そうに肩を抱く腕に、知らずしがみ付きながら、外が見たいと口を開くと
男の腕が軽々と躯を抱きかかえ、縁側へ出て庭先へと下りる。

そうして、信じ難い光景を見た。


「、…あ……、ッあぁ!!」


夥しい血飛沫で赤斑に変貌している地面に、見渡す限りの、死体。
尽くしてくれた家臣や、優しかった侍女まで
位、男女関係なく、無惨に斬り捨てられている。
目を見開き、変わり果てた己の屋敷内を、只々呆然と見回した。


「っ、何故…!こんな、酷いことを……!」
「Why?ンな酷ェことか?オマエ以外を皆殺しにしただけだぜ?」


それがどうした?と、笑みすら浮かべて耳朶に唇を寄せてくる、何と云う男の悍ましさか…!


「放せ…!その手で、某に触れるな!!」


血に染まった手から、身を捻って逃れようと
嫌悪も露わに吐き捨てるが、この惨劇を作り上げた残忍な者とは思えぬ程
静かな微笑みを浮かべ続ける男からは微塵の殺気すら感じられず。
生まれた一瞬の戸惑いは、即ち自身の退路を断った。
足掻こうとした躯を静かに、されど決して抗えぬ力で、寒気がする程優しく拘束される。


「、…ッ!」
「Because…、幸村、オマエ以外、必要ないだろ?」


凶行としか云いようのない行動を非難した後に囁かれた、理由にすらならない世迷言。
それが当たり前だ、何も間違ってはいないと、首を傾げて云う表情に
身の凍るような戦慄を覚えた。

目の前の隻眼は、
狂気に濁っている訳でもなく
画策に光っている訳でもなく
嘘偽りでも揶揄いでもなく
闇色の瞳が、何らの変容なく平静そのものだったからだ。

そのことが余計、空恐ろしい。

正気の儘に、この男は
これだけのことを、只その理由のみで、事も無く平然とやってのけたのかと。


「……ぁ、嫌…だ……!放せぇっ…!」


仮初めの正気だ、矢張りこの男は狂っている!
無我夢中でその腕から抜け出し、地面に転び逃げる。
途端に、ぐちゃりと掌に濡れた感触と硬いモノが触れ
其れが固まりかけた血溜まりと冷たい亡骸であると気付いた瞬間
糸が切れたようにその場から動く事が出来なくなった。

確かめるまでもなく、べったりと手や膝に付着したものは、己の家臣のもの。


「、あ、、ぅあ、あぁ…!」


何も考えられず、目の前が真っ暗になって、呼吸すら満足にすることが出来ぬばかりか
手足や全身が小刻みに痙攣しだし、掠れた無意味な呻き声だけが洩れる。
其れを薄く笑んで見下ろす男が、緩やかに腰を下ろして屈み込み
ガタガタと震えて焦点の合わない視点と同じ目線になる。
そうして血の気が引いて真っ白になっている冷たい頬を
両の手でゆっくりと挟み、上を向かせて覗き込んで来た。


「愛してるぜ…幸村…」


低く囁く声が、視認できない刃のように咽喉元に突きつけられ
まこと、息さえ出来なくなり、力の入らぬ両の手で濃紺の羽織を掴むと
まるで壊れ物を手にするようにそっと掬い取られ
恭しく引き寄せられた指先に、触れるような口付けをされる。


…嗚呼、ダメだ、捕えられては、、


判っているのに
その手を払い除けることも出来ず、毒に犯され痺れたように、身動き出来ない。


視界は、滲むように暗転。

 


「捕まえた」

 

 

 

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あとがき

大好きな猟奇愛…ですが、いたが書くとグダグダ…orz

2008/02/24  いた。