『弦月の烙印7』


幸村が信玄の行方を捜し始め、早くも半月が経とうとしていた。
されど、今の処は何の手掛かりもなく、はっきり云って途方に暮れていた。
然もあらん、甲斐領は広い。
更に、伊達が当然放っているであろう追っ手の事を危惧しては
十分に捜し廻ることも、況や大きな町などにも寄り付けず、情報収集が著しく乏しい上に
食糧すら満足に手に入れられない状況が続いている。(山家の備蓄分は二日前に底をついた)

そこで幸村は意を決し、近くの町に下りる事にした。
何処かで腹を括らねば、このまま何も進展しない。
が、その前に

「そうだ、忘れるところであった…」

この烙印の所為でまた捕まっては堪らぬと
引き裂いた布をサラシ代わりに、右の太腿へ幾重にも巻きつけて隠した。
奥州でもあるまいし、心配し過ぎなのだろうが、万が一ということもある。
それに、こんな醜い焼印など、二度と人目についてなるものか。

幸村は目立つ長槍の代わりに脇差を携え、それから銭を入れた巾着を大事に懐に仕舞って
山伝いに町の正門とは反対側の裏道まで廻り込み、俯き加減にそっと忍び入った。
無論、検問があるやも知れぬ表門を堂々とくぐる危険を冒さぬ為だ。
よもや見咎められでもして、己の素性と所在が明るみになるのは避けたい。

「…まずは、何か食わねば……それから、奥州と甲斐がどうなったか、訊いて回ろう…」

町の中心まで辿り着くと、久しく感じる活気が身を包み
されど感慨に耽っている場合ではないのだ
とりあえずは空腹を訴える腹を満たし、肝心の情報を得るべく、手近な飯屋に入った。

「らっしゃーい。何にしやしょーか?」

愛想の良い店主に、適当に作ってくれと頼んでから、一番近くへ座る。
それから早速知りたい事を問えば、「あんたそんな事も知らないのか」と
田舎者でも見るように瞠目され、慌てて「旅をしていたから」と取り繕った。
我ながら下手な嘘だとは思ったが、店主は「何だそうか」と納得したようで
飯を作りながら快活に喋り始める。

「いやー、少し前に奥州の独眼竜が信玄公の館に夜襲をかけてなぁ。
 その時、信玄公は命からがら逃げたって話だが、未だ行方知れずさ。
 まぁ噂じゃ上杉に助力を請いに行ったんだろうって皆云ってるが、本当かどうかは怪しいもんだ。
 腰巾着だった真田幸村だって、どうなったか知れねぇし。
 だからって、あの独眼竜の若造が甲斐にまで睨みを利かせやがって
 今じゃ領主気取りであーだこーだ命令し放題、城で踏ん反り返ってやがる」

と捲くし立て、出来た飯をドンッと幸村の目の前に置く。
幸村はと云えば、話の最中に自分の名が出た瞬間に
ビクと大袈裟に跳ねた肩を見られてやしないかと、気が気でなく
あまり長居はしない方が良さそうだと判断し、一気に飯を食べ終え、箸と銭を置いて席を立つ。

「馳走になった…!」
「あいよー」

また来てくれと云う店主の声から逃げるように店を出た幸村は
ふと、橋梁の袂にある高札の前に、人だかりが出来ているのを見つけた。
自然と其方へ足を向け、何が書かれてあるのかと、人垣の後ろから背伸びして目を凝らし
その内容を見た瞬間、ギョッとした。

『右腿に弦月の紋がある男を生きて捕らえた者には、奥州国領主より大判金二百枚を授ける』 

とあった。
右腿に弦月の紋などと、この世に幸村ただ一人しか居まい。
まさか知らぬ間に、己に斯様にも莫大な懸賞金が懸けられているとは夢にも思わず
(ちなみに大判一枚は小判十枚分の価値がある。つまり十両だ。
 米俵なら九十以上、酒一升なら三千以上が買える。
 要するに、大判二百枚あれば、一生を遊んで暮らせるのだ)
そんな大金、誰しも咽喉から手が出る程欲しかろう。
きっと血眼になって弦月の紋を探す筈だ。
こうなっては、この右腿に焼き付いたモノを、尚のこと人目から隠さねばなるまい。
幸村は目の前が真っ暗になるのと同時に、ハッと息を呑む。
これからは、迫る追っ手の気配だけでなく、周囲の人々全員を警戒する必要がある。
既に、欲に目が眩んだ者全てが、敵だ。

「……っ…」

幸村はそっと人垣から抜け出すと、表通りではなく裏通りを足早に走り抜け
来た時と同じように、大門を避けて裏山へ続く竹藪に分け入り、姿を消す。

逃げ道は、確実に狭まりつつあった。

 

――――――――――――――

 

「今日で何日目だ?」
「はっ、もう半月以上経ちます」
「追っ手共は何か掴んだか?」
「…いえ…今の処は、何も…」
「Oh, Really?まだまだ鬼ごっこは愉しめそうだな」

本心でそう云っているのか、それともただの厭味か
その真意は片倉には判断し兼ねるが、恐らく前者だろう
恐ろしい程に冷淡な声色の割に、主の口端は酷く愉しげに吊り上がっている。

「高札はどうだ?」
「昨日までで、偽者が二人、城へ連れて来られました。
 云わずもがな、金欲しさでしょう、お尋ね者を捕えて来たと喚く推参者達が、賞金をせびっております」
「Good、偽者もろとも首を刎ねて晒せ。本物を連れて来ねェとどうなるか、ってな」

まるで遠駆けに誘うが如く、気軽に命令を下す伊達の目は、どこまでも本気である。
あまりに非道極まるが、反論は許されない。
片倉は呻くように御意を示した上で、重く口を開いた。

「…何故、真田の名を伏せられたのです…?今後も、偽者が後を絶ちませんぞ」
「あん?莫迦かテメェ。名なんざ関係ねェよ。
 それが明らかだろうがそうでなかろうが、必ず偽者は現れる」

だったら名で括るより、気に入りの紋で捜す方が愉しいだろうが
と咽喉で嗤う伊達は続けて

「それに、アイツはもう、人じゃねェ。あの紋印をくれてやった時点で、オレの物だ。
 名前なんて贅沢なもん、必要ねェよ」

さも当然のように宣う、そんな主に対し
あってはならぬ事だが、片倉は仕えてより初めて、怖気にも似た戦慄を覚えた。

「で?虎の噂の方には喰いついたか?」
「…そちらも、まだです…」
「Ha!幸村のヤツ、中々賢いじゃねェか…それとも、ただの臆病風に吹かれたか…」

どっちにしろ、いくつか餌は撒いてある。じきに獲物は掛かるだろう。
心底愉快そうな笑みを浮かべる伊達は
自ら狩るのが早いか、仕掛けた罠に掛かるのが早いか
どちらも一興と隻眼を眇め、そろそろ甲州くんだり山沿いまで行くぞ、と
片倉と部下達を引き連れ、馬の鞍に跨った。

 

――――――――――――――

 

「………」

背後に気配を感じつつ、幸村は山路を歩いていた。
何処で嗅ぎ付けたのか知らないが、追っているのは恐らく町の者達だろう。
足音と気配の殺し方が粗雑だ。
それにしても、右足の紋を見られた覚えはないのに、一体何故判ったのだと怪訝に思う。
されどすぐに「嗚呼」と得心し、眉を顰めた。
表門ではなく裏道からそそくさと町を離れたので
もしや…と、町人達は後をつけて来たに違いない。(己でも、そんな奴が居れば怪しいと疑う)
しかし、たったそれだけで、こんな険しい山坂を長々と追い続けるとは
討っ手でもあるまいし、よくもまぁ根気良く出来るものだと、二の句も継げぬ。
ただ、幸村とて、そう易々と捕まってやる義理も道理も理由もない。
キュッと唇を引き結んで前を見据え、どうやって尾行を撒くかと視線を走らせると
差し当たり、目の前に程好い勾配の下り坂があったので
一気に駆け下り、上り坂に達する前に横の鬱蒼と生い茂る木々の隙間に滑り込み、息を殺す。

「…おいっ、あいつ何処に行った…!」
「知るか!お前見てなかったのかよ!」
「いいから、お前ら走れ!」

思った通り、慌てふためく三人ほどの男達は、己を追っていたようだ。
しかし木々の後ろに隠れる幸村に気付く事無く
目の前から煙のように消えた姿を追い、バタバタと坂を駆け上がって行った。

「…急ぐか」

上手く遣り過ごした幸村は山路へ戻ると、来た道を半分ほど引き返し
枝分かれした道を左へ、越後との国境に向けて歩き始める。
云うまでもなく、信玄が上杉に助力を請いに行ったという飯屋の店主から仕入れた話を元にだ。
何の信憑性もない噂話であろうとも、今はそれしか情報がない。
ならば、行くしかないだろう。
山二つ程を越えれば、上杉領に入れる。
一度隠れ処の山家に戻っても良かったが、その時間が惜しい。
まともな武器はなく、町で食糧すら買えなかったので心許ないものの
まぁ、何とかなるだろうと一人頷き、確りとした足取りで道を行く。
何の当てもなく鬱屈した日々を過ごした時と違い、漠然ながらも目的地があるというだけで
随分と心持ちが違うものだ。

「山越えなど、二日あれば出来る…!」

何処かから「相変わらず猪突猛進だよね」、という呆れた声が聞こえてきそうだと
幸村は一寸目を閉じ、ほんの小さく口角を上げた。

 


夜が更けた。
険しい山道を行く幸村の頭上には、半分に欠けた月が煌々と浮かび
されどその月光も届かぬ山の深い所に差し掛かると、足元すら見えぬ程の闇が行く手を阻む。
いつぞやの裏山と違い、不慣れな道だ。
さすがにもうこれ以上は進めぬ、それに、脚も限界に近い。
無理をして怪我をするのも迷うのも莫迦らしいと、一旦足を止め
すぐ傍の木の幹へ疲れたように腰を下ろした。
と、その時

「おめぇさん、そんな処で何してんだ?」

提灯の明かりを持った男が、狐につままれたような顔をして、向こう道から声を掛けて来た。
驚いて立ち上がろうとしたが、存外脚にガタが来ていたようで
膝が抜けたようにその場から動けない。
それを見た男は、幸村が怪我をしているとでも思ったのか、慌てて駆け寄る。

「おいおい、大丈夫かい」
「っ、心配無用、少し休めば、大事ない…ッ…」

迂闊だった、と胸中で己を一喝した幸村は、男の気配に気付けなかった事と
立ち上がれぬ程に疲弊するまで自制できていなかった事に、腹を立てた。
万一の時には走って逃げられる体力だけは温存しておこうと
山に入る前に決めていたのだが、早くも泡と消える。
そんな事とは露知らず、男は幸村に向かって「遠慮しねーで、ほれ、掴まれ」と片手を差し出した。
頭に被った手拭いといい、背に背負った俵から苧(お)が覗いている処といい
町からの商売帰りの苧売りだと云うことが知れるのだが
果たしてその手を取って良いものだろうか。

「…あの、某は…」
「なーにやってんだ、いいから手ぇ出せ、よっこいしょ…っと」

云いさした幸村を遮るように、焦れた男はその手を伸ばして幸村の腕をむんずと掴むと
年寄りくさい掛け声を出して引っ張り上げた。
そうして提灯の明かりに照らされた幸村の顔を見ても、特に何の反応も見せない処を見ると
『真田幸村』とは知らぬようだ、況してお尋ね者ならぬ莫大な賞金首という事も。
それに、

「ここらは山賊も出る。もうすぐオラの村があるから、寄ってけ」

と親切にニカリと屈託ない笑みを向けられては、断れず、幸村は苧売りの世話になる事にした。

 




【8へ続く】


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あとがき

知らない人について行くのはいかがなものか。
相変わらず危機感の足りない幸村が、次も何かやらかしてくれそうですv
(ちなみに今回幸村に懸けられた賞金2千両
 一両=10万円前後と考えて現在価格に換算すると、約2億円です。
 筆頭の本気が見えました。 是非とも私が捕まえたい…)

2010/02/11  。いた。