※流血・暴力的表現があります。ご注意を。

 


『弦月の烙印9』


幸村は街道沿いに馬を走らせていた。
鐙も何も無い、不安定な馬の背は、酷く股擦れするが、贅沢など云えぬ。
なにせ、農村から奪った馬耕用の馬だ。
速度も遅いが、仕方ない。
そもそも、森に身を隠しつつ移動する徒歩の安全を放棄し
こうして目立つ馬で急ぎ上杉領を目指すのは、単純な焦りである。
それだけ、村で起きた惨劇は、幸村に大きな動揺をもたらした。
如何に欲に溺れた村人達の同士討ちとは云え
其れを自業自得と侮蔑するだけの冷徹さも割り切りの良さも持ち合わせてはいない。
元はといえば、無闇に人々の心を掻き乱すきっかけとなった自分さえ
安易にあの村に立ち寄らなければ、あんな事は起こらなかった筈だ。
全て、己の所為だ。
そう思うと、後悔という言葉一つでは云い表せぬ、巨大で重たいものに押し潰されてしまいそうだった。
心が、折れかけている。
結び直した右腿のサラシの下の烙印が、疼いて、痛い。

「…っく、ぅ…っ」

知らず溢れる泪を拭い、憑かれたように馬を駆る幸村が求めるのは、お館様という目に見える安堵だった。
是が非でも会わねば、泣き喚いて正気を手放してしまいそうなのだ。

「…ッ!」

一刻以上、休まず走り続け、そろそろ越後の国境かという時、幸村の耳が微かな音を拾う。
気の所為ではない、これは、馬の蹄の音だ。それも複数の。
まさかと振り返った道の向こうに、僅か、砂塵が見え
何者かと緊張を走らせたが、否、考えている暇はないと、馬の脇腹を蹴る。
もし追っ手ならば、このままでは追い付かれてしまう。
しかし休み無く走らせていた無理が祟って、苦しげに息を切らせる馬の速度はどんどん落ちて行き…
背後からの気配は、もう真後ろにまで来ていた。

「っく…!」

万事休す、某も此処までか、と襟首を掴まれる覚悟をした幸村に、

「もし!そこのお方、もしや幸村様では…!」
「…お主達…!」

声が掛けられ、振り向くと、見覚えのある具足揃えと顔ぶれが十人ばかり
此方に向かって手を振っていた。
驚いた事に、武田軍は真田隊、己の部下達である。

「ご無事で何より…!!」
「其方らこそ、よく生きていてくれた!」

並走する仲間へ幸村が返すと、心底嬉しそうに頷く者から感極まって泪を流す者まで居る。
幸村も目頭を熱くさせ、深く頷き返し、皆が再会できた喜びを分かち合った。
あの夜襲の日より半月近く、今までどうしていた、何があったのだと問うと
途中で信玄を見失い、散り散りになったという武田の兵達は
何とか全滅を免れたものの、数は少なく、幸村という要が居ないこともあり
その生き残り達も気付けば霧散してしまったらしい。
此処にいる真田隊とて、元々の人数の一割程度にまで減っており
辛うじて小隊を組んだはいいが、殆ど路頭に迷いかけていたのである。
そうした折、此奴らも信玄の霞のような噂話を耳にし、それを頼りに上杉領を目指していたと云うのだ。

「そうか…」
「とにかく、良かった!もうすぐ越後の地…!幸村様、お供します!!」
「…よし!」

日が暮れる前に越後入りしよう!そう云い掛けた幸村は
不意に行く先の、道の端から端に伸びる縄を見付け
それが意図的に置かれたものだと判断するより速く、反射的に「止まれ!」と叫んだが、遅かった。
撓んだ縄が一瞬で地面より浮かんでピンと張ったかと思うと
先行していた部下の馬の前足が取られ、見事に馬の巨躯が素っ転ぶ。
後続の幸村達もそれに巻き込まれ、恐慌に陥った激しい馬の嘶きと共に、辺りは騒然となった。

「OK、guys!さっさと周りを囲みな!!」
「Yeah!」

同時に、何処からともなく響いた鋭い男の声を合図に
道の脇の鬱蒼とした草叢から、具足姿の輩達が次々と現れ、幸村達を包囲せんと肉迫する。
そこで咄嗟に機転を利かせたのは、真田隊の中で最も古株の男だった。
素早く幸村の腕を掴み、森の茂みの中へと飛び込んで走る。

「…っ!待て!!あやつらを、置いて行くつもりか…!」
「ご辛抱を…!よもや幸村様を失う訳には参りません…!」

きっと残った者達も判って居る、まず死守せねばならぬのは誰なのかを!
と苦汁を舐めるような心痛な面持ちで、必死に走る部下の判断は正しい。
相手が山賊といった類ならば、こうして仲間を見殺しにして逃げる必要もなく、応戦しただろう。
しかし、あれが決して賊などという、生易しいものではない事など、すぐに判った。
整然と統率された動きといい、揺ぎ無く飛んだ指示といい、只者ではない。
それに、男の鋭い声を聞いた瞬間、幸村の顔が怯えに引き攣った気がしたのだ。
その証拠に、

「幸村ァ!!まだそこらに居るのは判ってンだ!さっさと出て来い!」

森の外、つまり逃げた街道より、どうして名を知っているのか、朗々とした声が聞こえ
途端、ビクリと硬直した幸村は、極度の緊張によってか、それとも
云いたくはないが、恐怖の為か、眸は不安げに揺れ、顔面は蒼白ですらある。
常に戦場を先駆けていた男らしからぬ、冷たい強張りを訝しがり
一体どうしたのだと問うより先に、更に声が大きく続けた。

「此処にある仲間の首、一つでも多く助けてェなら、早めに出て来なァ!」

云い終わった次に、「ぎゃあっ」という耳障りな悲鳴が森中に反響し
驚いた幸村達は思わず足を止めて瞠目する。
まるで、断末魔のような声だった。
胸騒ぎを覚え、踵を返し木々の隙間から道の方を伺い見ると
捕えられた仲間達が膝をついた状態で横一列に並べ立てられ
果たして、その一人目の首より上が見当たらぬ。
否、よくよく見れば、道端に転がり、恨めしそうな顔で
刀を握った男を、伊達政宗を睨んでいた。

「…!何故、あの男がこんな処に!」

此処は上杉の国境間近だぞと声を荒げる部下の隣で、幸村は小さく息を呑み
伊達から全く目を逸らせないで居た。
まさしく、声を聞いただけで、身は無様に竦み、姿を見ただけで、どっと冷や汗が噴き出し
容赦なく胸を占めるのは紛れも無い、怖気だ。

「…Hum、一人じゃさすがに足りねェか。…All right!Next!!」

刀の血糊を払い、伊達は続けて二人目の首を無慈悲にも両断。
幸村が自ら出て来るまで、指折り数えて、ではなく
十近くはある首を、一つずつ斬り落として行こうというのだ。

「…独眼竜、夜襲に続いて…何と云う、鬼め…!」

一言も発せぬ幸村の横で、部下が歯軋りして罵る間にも、三人目の同朋の首が勢いづけて飛ぶ。
これでは、あんまりだ。
彼らとて、幸村を逃がす為ならば、惜しからざる命と喜んで差し出す心中立て厚い忠臣であるが
斯様な死に様を強いられるなど、哀れにも程がある。
されど、だからこそ幸村には、何としても助かってもらわねばなるまい。
でなければ、ただの犬死だ。

「……幸村様、どうか、仇や弔い戦などと、お考えにならないで下され…
 あやつらも、御為にならば、本望でしょう…」

さぁ、今の内に…と腕を引く目の前で、四人目の首が転がり落ち
幸村の両足はまるで地に縫い付けられたように動かなかった。
何故か、頭の中は面白いほどに空っぽで、真っ白に何も考えられず
だが、四人分の真っ赤な血潮が大きな水溜りのように広がり
留まりきらず歪に伸びた幾筋かが、ジワジワと流れて行く様を見て
荒く動悸を打つ胸に、突き上がってくるものがある。

…これ以上、目の前で、己の物でない血を、命を、失わせてなるものか…!

「ッ幸村様!」

止めるな、と手を振り解いた幸村は、脇目も振らず走り出し
絡む森の枝葉を払い除け、五人目の犠牲者が出る前に
急ぎ街道へと飛び出して、伊達の望みどおり、自ら姿を見せた。

「Oh、やっと出て来たか、待ちくたびれたぜ。 …ん?どうした、そんな泣きそうな顔して」
「……っ…!」
「そう気を落とすなよ。まだ半分以上も生き残ってるじゃねェか。十分、及第点だ」

てっきり、もう出て来ねェかと思ったぜ、と伊達は嗤って刀を鞘に収め
佇立している幸村へと歩み寄り、唇を震わせながら俯く小さな顎に手を掛け、掬い上げる。

「何か云いたそうだな」
「……何故、、斯様な惨いことを…っ…」
「As you know…判ってた筈だぜ?何もかも、アンタ次第だとな」

この手の中で大人しくしている分には、余計な辛苦も犠牲もありはしない
髪の毛の先まで可愛がってやると云っている、と伊達に項を引き寄せられ、噛み付くような口付けがある。

「…っ、ン、ん…ッ、、」

強張る舌を巧みにぬるりと絡め取られ、甘噛みとは程遠い強さで歯を立てられて
幸村は溢れた唾液を顎へ零しながら、伊達を突き飛ばす事もなく
無遠慮な片手が着物の衽より忍び入り、太腿の辺りを厭らしく撫で廻そうとも、非難の声一つ上げない。
そうして抵抗なく、されるが侭になっている幸村を見て
泣きそうになったのは、生き残った真田隊である。
己達の身を案じての辛抱だと察するに容易く
そんな真似をさせるぐらいなら、「もういい、我らも殺してくれ!!」と口々に叫んだ。
斯様にも得難い仲間の命を救いたい、そう願う幸村が
こうまで無抵抗なのは、当然、

「…そう、いい子だ…舌をうまく使え。ツバキは零さず飲めよ…」
「、っふ…、んん…っ」

恐ろしい伊達の仕置きと房事の合間に刷り込まれた、従順にする事によっての物事の解決の為である。
つまる処、伊達が云う通り、全ては幸村の行動一つで決まるのだ。
逆らえば苦痛と絶望を限りなく、従うなら恣に甘やかして快楽を。
現に、幸村が観念して大人しく身を預けただけで、伊達の凶行を止めることができた。
ならば、もう、いい。
思えば、己一人が諦めさえすれば、万事良かったのだ。
されど既に手遅れとなった事も多い。
あまりにたくさんの血が流れ、命が消えた。
申し訳ない…と歯噛みする幸村の、着物の裾を大きく広げた伊達は、ゆるりと隻眼を眇め、

「なんで隠してる」
「…あっ…」

不機嫌そうに眉を顰めながら、右腿にあったサラシを引き千切るように毟り取る。
空高い陽の下、白い太腿に浮かぶ弦月が露わになり
それを見て驚愕したのは、「殺してくれ」と嘆願する真田隊であった。
町や村は云わずもがな、道行く連雀商人までもが興奮し囁き合っていた
二千両もの大金首は御大将だったのかと、目を剥き愕然とする。
同時に、夜襲の前の、一月もの長い間、この幸村が行方知れずであった事情を悟り、カッと頭に血を上らせた。

「っ、…おのれ、独眼竜め!左様な辱めを、よくも幸村様に…!!」
「…あァ?」

不埒者がと激昂する真田隊に対し、伊達は塵でも見るような目付きで睥睨すると
「折角拾った命を、どうやら捨てたいらしいな…」と刀の鍔に手を掛ける。
それに気付いた幸村は、慌てて蒼い陣羽織を掴み、

「政宗殿…っ、どうか、おやめ下され…っ」

助けると云って下さったではありませぬか!と取り縋る。
その必死な様が気に入ったのか、伊達はニヤと口角を持ち上げ、嘯いた。

「……六…いや、七人分の命、高くつくぜ…?」

それから、城から逃げた分の仕置きがある、と首筋に舌を這わせる男に

「覚悟はできております…」

目を瞑って答えれば、くつくつと含み哂いがあり
弦月の紋の辺りを這っていた手が、思わせ振りに下から上へと躯の稜線を辿って
背中に流れる幸村の長い髪房を掴んで引く。

「、ッ」
「上等だ」

隻眼に獰猛な光を湛える伊達に、容赦はない。

 

 

【10へ続く】


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あとがき

お愉しみは奥州に戻ってからv
そろそろ完結させようかな…と。

2010/03/26  。いた。