※流血・暴力的表現、残酷な描写があります。ご注意を。

 


『弦月の烙印8』


山間にある農村にしては、大きな村であった。
二十か三十程の百姓農家があり、月明かりの下にはきちんと掻き均した田んぼや
何がしかの芽を生やした畑が広がる。
遠くで馬の嘶きがしたので、この広大な田や畑で農業を営むにあたり、馬耕は欠かせぬのであろう。
立派な集落の灯りは一つとしてついておらず、みな寝静まっているようで
折り重なる虫の涼やかな鳴声満ちる畦道を歩く幸村達の他、人っ子一人見当たらない。

「さて、此処がオラん家だ。とりあえず、上がって座っときなよ。飯作ってやっからな」
「これは、申し訳ない、しかしそこまで世話になる訳には…」

ゆかぬ、と云いかけた幸村だったが、間が悪いことに、腹の虫が大きな音でぐうぅと鳴いた。

「……ぅ…」
「ぶはは!それみたことか!腹減ってんだろう、遠慮しねぇでちっとばかし待ってろ!」
「か、かたじけない…」

真っ赤になって俯く幸村の心境は、穴があれば入りたい、である。
それを笑って笑いまくった男の名は与助といい、灯りを燈した土間に背負っていた俵をドサリ置くと
早速遅い夕餉の用意に取り掛かった。

 


「馳走になった」

囲炉裏にくべられた鍋の中身を完食した幸村は、丁寧に両手を合わせて箸を置いた。
その見事な食いっぷりはさておき、中々礼儀正しい処と言葉の話し方に気付いた与助に
「おまえさん、どっかの御武家さんかい?」と訊かれた時には、大いに焦った幸村である。
咄嗟に、その通り武士の端くれではあるが、今は諸国を旅する放浪の身であると
先だって町の飯屋の主人にもしたように、何とか云い繕った。
幸いな事に、与助はそれを信じてくれたようだ。

「へぇ〜若いのにご苦労なこった。オラなんか、麓の町に下りるのがやっとこさでよ、こないだなんか足挫いちまって」
「それは、大変でござったな…」
「いやいや、そうでもねぇさ。何たって、薬湯ならぬ天然の温泉様があったからな、ほれ、この通りピンピンしてら」
「近くに湯元があるのでござるか?」
「あるとも。小せぇが、ここらじゃ良く効くって有名だ。おまえさんも入ってきなよ」

村のすぐ脇にあり、そこまでの道もちゃんと整えてあると云うので
是非行きたいと頷けば、手拭いと提灯を持たせてくれた。

「では、お借りして、行って参る」
「おう、気ぃつけてな」

転ぶなよ、と笑って見送られ、幸村も笑って返し、外へ出る。
暗い夜道ではあったが、提灯のお陰で苦労せず村の端から伸びる細い道を辿り
程なく、ゴツゴツとした岩場に薄く色のついた湯が溜まっている湯元についた。
確かに、湯気が立っているのが見える。
しゃがんで片手をつけてみると、熱かった。
顧みればここ暫く、湯はおろか、行水すらしていなかった事を思い出し
早速着ている物を脱いで中に入った。

「……ふぅ…」

温かい。
細く息を吐いて躯の力を抜き、傍の岩の上に置いた提灯と、仄かな月明かりを頼りに
こびり付いた泥の汚れを指先で擦り落としつつ、ふと自身の躯つきを見て、目を瞠る。
随分、肉が落ちて、痩せた。
然もあらぬ、伊達に捕えられている間は勿論のこと
逃げた後だとて一度も槍を振るわず、最近では飲まず喰わずで数日を過ごした事もある、仕方ない。
それよりも目につくのは、貧相な二の腕や少し肋骨の浮いた脇腹に残る、拷問や折檻の痕である。
かなり日が経つというのに、いまだ治りきらないのだ。
恐らく、散々に打たれた臀や背といった見えぬ処も、傷だらけに違いない。

「…ッ…」

最も忌むべき右の太腿の火傷は、少し、湯が染みた。

(…一体、いつまで斯様な悪夢が続くのか……)

自然と頭の中は鬱然とした考えが堂々巡りする。

これからどうなるのか…
もし道半ばであの男に捕まってしまったら、己は一体どれほどの惨い仕打ちを受けるのか…
果たして最後まで、逃げ切る事ができるのであろうか……

追っ手や金欲しさに蠢く者共、況や鬼が如く冷悪無慈悲な伊達政宗を相手に
まるで終わりの見えない鬼事をしているような感覚である。

(……しかし、捕まる訳には行かぬ…お館様を何としても見つけるのだ)

まだ望みはある、と自身に云い聞かせ、ザバッと勢い良く立ち上がった。
あまり長湯も出来ぬのと同じに、あの村にもそう長居は出来ない。
空が明るくなる前には出て行った方が賢明だろう。

「…む、いかん」

立った拍子に、ズルと右腿に巻いていたサラシ代わりの布切れがずり落ち
解けたそれを慌てて掴んで結び直す幸村は
傍の雑木林の陰から注がれる一対の視線に、全く気付いていなかった。

また、その視線の主が驚愕に目を見開き、村へと飛んで帰ったことも。


「…さて、良い湯を教えてもらった。礼を云わねば」

そうとは知らず、借りた手拭いで濡れた躯を拭って、元通りに着物を着た幸村は
随分軽くなった躯に気を良くし、すっかり疲れも取れた足で村へと戻る。
が、村の中へと入ったのと同時に、恐ろしい言葉が耳を劈いた。


「来たぞ!紋付だァ!!!!」


一際大きな声が響き渡ったかと思うと
そこら中から農民達がわっと押し寄せ、あっという間に幸村は縄で雁字搦めに縛り上げられ
寄ってたかって村の中心へと引き摺られた挙句に、物見櫓の太い柱に括りつけられた。
あまりに急な事で、どうしてバレたのだという疑問よりも
こんなに沢山の村人達が居たのかという的外れな事を思い、呆然とする。

「……な、に…?」

その大勢の村人達は、各々松明を片手に、幸村をぐるり取り囲むように人垣をつくって
興奮をきたしつつ口々に何やら囁きあっているのだが、何を云っているのか聞き取れない。
すると、人垣を割って出てきた一人の男が
緊張した面持ちで幸村の方へと近付き、ゴクリと生唾を呑み伸ばした手で
いきなり幸村の着物の裾を掴み無造作に広げ、右腿の布切れを毟り取った。

「ッ…!?」
「…ほ、本物だ!!」

月光と松明の灯かりに、くっきりと浮かぶ弦月の紋が露わになった瞬間
昂った男の歓喜の声に、その場に居た者全てが揃って雄叫びを上げ
全員の目に、云い表し難い濁った光が燈ったのを確かに見た幸村は、ゾッと背筋を凍らせた。
とてつもなく厭な感覚が、急激に躯中を這い登る。
何か、云わねばッ… と焦燥は募るものの、まるで咽喉が糊で貼り付いたように声が出せない。

「やったぞ!!大判金二百枚は、もう手にしたも同然だ!!!!」
「おお!!」

獅子吼する男に同調し、高揚を帯びた歓声が彼方此方で上がる。
束の間、村は見えぬ熱狂に包まれ、迸る熱気は地に落ちる影をも躍らせた。
しかし、

「で、誰の手柄だ?」

その何者かの一言で、村人達は水を打ったように静かになった。
そして次第に、ザワザワと動揺めいたさざめきが広がって行く。

「…ふむ…ここは村長であるこの儂が、責任を持って御上に献上しよう。その後、金は皆で等分しようぞ」
「ッ騙されねぇぞ!どうせアンタ一人が全部持って逃げちまうんだろうが!」
「そうだそうだ!村で一番正直者の、このオレが行って来る!」
「何だと?!莫迦云ってんじゃねーぞ!この嘘つきめ!」
「なぁ!おいらに行かせてくれよ!こないだ畑が猪にやられちまって、もう食っていけねぇんだ!すぐにも金が要る!!」
「だったらそこらの土でも食っとけよ!俺なんかなぁ…!」

いいや俺だ、だったら儂だって、ちょっと待ってよ私がと
血に飢えた獣が生肉に群がり取り合うが如く
腰の曲がった年寄りから、手に肉刺(まめ)も出来ておらぬような若い娘まで
口角から泡を飛ばして云い争い始める。
村人同士の薄っぺらい協調が、音を立てて剥がれ落ちたのだ。
こうなれば、近所のよしみなどありはしない。
互いの襟首を掴み合い、口汚く罵り、よしんば親兄弟とて、知った事かと諍いを起こす。

「ぎゃっ!」

そんな中、引き潰れた悲鳴が上がった。
見れば、肩口から血を流しながら、中年の村人が倒れて転げまわり
傍には、赤に濡れた鎌を片手に、尋常ならざる目付きで其れを見下す若い村人がいる。
それが発端だった。
臨界点を迎えた緊張の糸は容易く切れ、一気に爆発した他の村人達も
ことごとくが其の手に鎌やら鍬やら鉈を握り締め、手近な者に手当たり次第に襲い掛かり出した。

それより先は、云うまでも無い、泥沼である。

非力な女の髪を掴んで鉈を振り翳す男が、その女に鎌の一閃で腹を切り裂かれ腸(はらわた)を撒き散らし
鬼のような形相をした年寄りが、人の背に馬乗りになって鍬を振り下ろし脳天をかち割り
事切れた村人の手から離れ地に転がった松明の火が、粗末な農家に燃え移って
薄い板と茅葺きの屋根は瞬く間に業火に嘗め尽くされた。
しかも今度はそれが隣家に飛び火し、いよいよ火の勢いは止まらぬ。
一時、夜の闇は紅蓮に明るく浮かび上がり
その爛々と照らされた中では、正気を欠いた者共が、狂ったように殺し合うのだ。

「……なんだ、これは…」

目前で拡がる地獄絵図のような光景に、ただただ愕然とする幸村の呟きは
まこと煉獄の阿鼻叫喚が如く凄まじい悲鳴と罵声に掻き消される。

(……醜い、なんと醜い争いか…!)

曝け出された人々の強欲が、斯くも見るに耐えぬ醜悪な形で露わとなり
それを目の当たりにした幸村は、本来ならば慈愛すべき民に対し、心の底から嫌悪を抱いた。

「…っ?」

とその時、背後から何者かが近付く気配があり、ゴソゴソと何かを弄っている。
どうやら縄を解こうとしているようだ。
首を捻って振り返れば、なんと与助である。
まさか逃がしてくれるのかと、まさに地獄の中で仏を見た幸村であったが、

「…っ今の内に、掻っ攫ってやる…!二千両はオラだけのもんだ…!!」

決して誰にも渡すものかと、不気味に吊り上がった眦と血走った目をして唸る様を見て、瞬時に凍りつく。
これは本当に、あの与助か?
面倒見が良く、屈託のない笑みをして世話をしてくれた、彼奴と同一人物なのか?
俄かには認め難かったが、かつての面影など微塵もなく
欲望をその目に滾らせ、即ち他の村人と同様、金の亡者と化したその姿に理性はない。
幸村は身の毛が弥立った。
知らぬが仏、賞金が懸かっていると判るや否や、豹変した男に
世の理すら見た気がした。

「ッ…放せ!放さぬか…!」
「騒ぐな!大人しくしろ!気付かれちまうだろう!!」

終に柱から縄を解いた与助に手加減なく腕を引かれ、幸村は渾身の力を振り絞って抵抗する。
すると、悶着に気付いたのか、近くに居た村人の一人が
「この野郎、抜け駆けする気か!」と叫びながら、鉈を横薙ぎに振り抜いた。
 
「…っっ!!」

幸村の全身に、首を掻き切られた与助の血飛沫が、ビシャリと飛び散る。
幸村は目を見開き、一寸、思考も動作も全て停止させた。
その硬直した身へ、与助を殺した村人の血塗れの腕が伸びるが
それもすぐに、別の村人の凶器に叩き落とされた。

次から次に、幸村の目の前で、人が死んで行く。

「…ぁ、…ぁあ…!」

金縛りにあったようにその場から動けなくなった幸村は
無力な木偶のように立ち尽くし、凄惨たる村の真ん中で、意味の無い呻き声を上げた。

 

そうしていつの間にか、夜が明け
湿った朝靄と炭になった家屋から立ち上る煙で白む農村に残されたのは
荒れ果てた田畑と無残に焼け落ちた家、至る処に散らばり折り重なる夥しい骸の山である。

―――生きて其処に立って居たのは、幸村ただ一人であった。

 


 

【9へ続く】


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あとがき

全・滅★
さすが、巻き込む規模が違うv

2010/03/07 。いた。