月が好きだった。
暗闇の中、丸く、時には細く、欠けては満ち
神々しく、或いは斯くも妖しい光源。
その輝きは金箔と等しく、薄雲が掛かれば淡い暈が内より青銅に、外へ行くほど赤錆色の輪を乗せ
何とも艶やかな光彩に心惹かれるものがある。
望月の時なぞ、体色は沈み行く夕陽のそれと何ら変わらぬ濃厚を持ち
ひと月の内たった一夜しか見る事の叶わぬ静謐な丸に、畏怖すら抱くものだ。

「…また、見てんのか」

そうして今宵も、飽く事無く、座敷の縁より庭先へと迫り出した月見台から夜空を見上げる幸村に
伊達は邪魔せぬようにと少しばかり離れた所に腰を下ろし、持っていた猪口に酒瓶から酒を注いだ。
返事はなく、しかしいつもの事だと気にもせず、己も無言になって酒を呷る。
此処は城から少し遠い伊達の屋敷にて、幸村気に入りの離れ座敷だ。
最初の内こそ母屋の方にて夕餉や晩酌を嗜好していたものの
回を重ねる内に緊張が解けてきたらしい幸村が、少しばかり居心地が悪そうにしていたので
どうしたと問えば、然もあらん、侍る女人が苦手なのだと宣うた。
何を云う、それこそ城に比べれば、その数然り、小煩い家臣も鬱陶しい見張りも居ないのだから雲泥の差だと云うと
例え側仕えの侍女であれ、数に関係なく、あまり傅かれる事に慣れぬ幸村は、それが嫌だと云うのだ。
そうして余所余所しく逃げるようにして、人の居ない離れ座敷へ行きたがるので
気付いた侍女達も気を廻し、なるべく其の離れへは近寄らぬようにした。
その結果、折角広い母屋があるにも関わらず、幸村は決まってこの屋敷へ来れば客間を素通りし
渡り廊下を渡った先にある小さな離れ座敷へと入り浸るようになり
宛ら、とっておきの孤城である。
しかし今思えば、こうして二人きりで過ごせるのだから、存外幸村の人見知りも役に立つと伊達は口端を上げ
暫く、心地の良い静寂に身を置いた。

と、不意に、月を見上げた儘の幸村が口を開く。

「政宗殿、某が思うに、」
「…ん…?」
「きっと、いつか、人は皆、ああして空に浮かぶ月に還って行くのでござる」
「……Ah…?」
「或いは、あれを道標とし、辿り着いた先から周りに瞬く、無数の星粒の一つとして、新しく生まれ変わるに違いない」
「……アンタ、いつからそんなロマンチストになった」

人は死んでも何処へも行かない。
魂の輪廻など幻想に過ぎぬ。
いっそ冷めた観点だと云われようが、それが現実だ。
伊達に前世の記憶は無い、もし生まれ変わるとしても、星ではなく鳥がいい。
いや、そんな事よりも、周囲に熱血漢と揶揄されるような野暮ったい男が
まさか斯様な夢見がちというか、感傷に浸るような物言いをするとは思わず
似合わないと小莫迦にしたように哂うと、拗ねたように頬を膨らませるので
臍を曲げられては敵わぬ、伊達はあっさり肩を竦めて見せた。

「OK、OK…アンタがそう云うなら、きっとそうだ」

お前が白だと云うなら、誰が何と云おうと黒い物も白に、異な事も是としよう
その程度には惚れていると、同意を示した伊達に満足したのか、幸村はニコニコと相好を崩すと
改めて月に向き直り、真剣な顔付きに戻って、熱心に眺め耽る。
まるで手の届かぬ物に恋をしているようだと
云えばまたしても小憎たらしい顔をするのだろう、寸での所で云い留めて
空になった猪口に新しい酒をなみなみと注いだ。

また暫く、静寂が訪れる。

そして今度も、徐に幸村の方から口を開いた。

「…政宗殿、」
「今度は何だ」
「某が月を手にしたいと望むは、果たして罪であろうか…」

此方を向きもせずに、漫ろ言が如く呟いた幸村の横顔を見遣ると
案外、無表情であった事に隻眼を眇める。
これもまた、先の遣り取りに繋がっているのだとすれば
その罪だと云わんとする処とは、皆の還る場所、或いは導きの道標を奪うという事に対するものだろう。

「…好きにしな」

アンタが望むなら、月だろうが天下だろうが、手に入れれば良い
罪が恐ろしいなら、オレが代わりに背負うぐらいの覚悟はある、と腰を上げ
座っていた幸村の腕を掴んで引き立たせ、庭先へ出る。
一体何処へと問う声を意図して無視し、然程もせぬ内に暗がりの中見て取れた
大きな池の方へと移動した。

「……これは、」

植えつけられた松の枝が水面を這うように伸びる先に
空をそのまま映した水鏡のような其処へ、ぽっかりと浮かぶ月がある。
毎日手入れをする庭師が挙ってこの国一番だと謳うだけあって、その美景は筆舌に尽くし難い。
その様な処へ躊躇もせず、伊達は幸村の腕を引き
着物の裾が濡れるのも構わず、ざぶざぶと入って行くのだ。

「…!ま、政宗殿…?気でも違われたか?」
「Ha?いいから黙って付いて来い」

と、手首を掴む力に緩む気配がないので、仕方なく幸村は伊達の後に続き
到頭、池の中心まで来た頃には、水嵩は腰の上まであった。
いい歳をした男二人が、夜中に庭の池で何をしているのだと
こんな処を誰ぞに見つかりでもすれば、さぞや噂話の美味い種になろう。
気にはしないが、そろそろ冷たい池の水が身に凍みて、ぶるりと躯が震える。

「…して、政宗殿。一体何をするつもりか、そろそろ教えて頂きたいのだが…」
「あん?見りゃ判ンだろ? ほら、掴めよ」
「…は?」
「何してんだ、取らねぇならオレが取っちまうぞ」

云いながら、水面に映る黄色い月に向かって無造作に手を伸ばし
バシャと音を立てて掴むのだが、当然、掴んだのは水で
水面に浮かぶ月は、揺れる波紋状に散り散りになった。
唖然としてその様を凝視する幸村は、次いで反対の手で池の水を掴む伊達の愚かしさを
嘲笑すらできず、只々瞬きもしないで見守り続ける。
何処かで似たような御伽噺がなかったかと、あれは一体どうやって云い諭したのだろうか
そもそも、斯様な方法で月を掴める訳がない。
そんな事を判らぬ筈もない賢い男が、懲りもせず再び片手を池に突っ込むのを見て
嗚呼、
これは先だって月が欲しいと云った己に、律儀に付き合ってくれているのだと気付く。
なんだ、そう云う事かと苦笑した幸村は
ならば自分もと、波紋により激しく歪む月に向かって手を伸ばした。

「…中々、掴めませぬな、」
「Oh、もうギブアップか?情けねェな」
「聞き捨てなりませぬ、その科白」
「だったら勝負するか?」
「望むところ」

 

そうして決して掴めぬ月を掴まんとて、水面に両手を突っ込む愚かさを
二人して声に出して嗤い合った。

 


『月と愚か者』

 

 

【終】


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あとがき

結局何が書きたかったか判りません…orz
いや、最初は心中というか入水話を書こうかと思っていたのですが
途中で気が変わりまして、こんなんなっちゃった。笑

2009/12/05  。いた。